旅立ち
                                2007.01.15

 今朝父が旅立ちました。93歳でした。

 父が体調を崩したのは2ヶ月前の11月で、「胸が圧迫され、苦しい。死にそうだ。」と苦しんだので、救急病院に連れて行った。その時に医師から「心臓が弱っている」「腎臓が悪くすぐに人工透析をしなければならない状態にある」「右肺に水がたまっており、以前よりも広がっている」等々で、「いつ亡くなってもおかしくない状況です。すぐに入院しなさい。」と言われた。

 しかし、人工透析をしても、肺の水を抜いても、回復する保証はないという。また、心臓に負担がかかるので、逆に悪化するかもしれないし、命取りになるかもしれないという。父は入院することを嫌がった。このまま入院させれば、検査・検査で心身ともに参ってしまい、父は寝たっきりになってしまうだろうと予測された。最後は自宅で看取ってやろうと思い、入院させずに家に連れて帰り、自宅療養をすることにした。

 家へ帰ってから数日間は胸が苦しいと痛がっていたが、しばらくして痛みも和らぎ、落ち着いてきた。一時歩くことが困難でトイレに行くのが一騒動であった。寝ていることが多くなったが、なんとか家の中を一人で歩けるようになり、家の中で気ままな生活が出来るようになった。時々、息苦しくなる苦痛を訴えることがあったが、風呂にも自分一人で入り、元気でいた。新年を迎えることが出来たので、4月に94歳を迎え、もう一年は元気でいるだろうと安心していた。

 昨日は寝たり起きたりしていたが、孫とも話しをし、少ないが食事も済ませて床に就いた。夜中に息苦しかったのか、胸を開いたりしていたが、眠りについたので大したことはないと思っていた。ところが朝目を覚ましたら、父は冷たくなっていた。

 死は必ず来るものであり、父の死を覚悟していたが、亡くなってしまうと早すぎたなぁという感じがする。死は予告なく来るが、明日には亡くなるぞといったシグナルが欲しいと思った。今日も元気でいるぞと思っていたのが、亡くなったという現実に直面すると、もっと話をしておけば良かった等々の後悔の念に襲われる。

 父は88歳まで保険の外回りの仕事をしていて、お客さんに会うこと、歩くことを楽しんでいた。父の口癖で、長生きの秘訣は、「歩くこと」、「玄米を食べること」だと言っていた。仕事を辞めると歩く量が減って、徐々に脚の力は落ちていった。周りで見ていると、歩き続けることの大事さを痛感させられた。脚が弱ってから、杖を使うように進めたが、爺(じじ)くさくていやだと言って決して杖を使わなかった。家の中を歩くのがやっととなってしまった最近も、手を貸そうとすると、自分で歩くといって介助を嫌った。そういう意思を持っていたためか、横になっていることが多くなっても、要介護にもならず、最後までトイレには自力で行くと頑張っていた。

 最後は自分で床につき、朝になったら眠ったまま旅立っていた。家族に迷惑をかけることなく、私たち家族と一緒の生活をして、自分の家で亡くなるという理想の死に方だった。他の子ども、孫たちも、父が体調を崩してからは毎日のように誰かが訪れ、父と話をし、父は全家族に見守られていた。幸せだったと思う。

 通夜・告別式は式場・火葬場の都合により、すぐには出来ず、金曜・土曜となってしまったが、今夜は私の母親(父の妻)と私達兄弟(子ども)・孫・ひ孫に囲まれ仮通夜が行われた。父は通夜の日まで家に安置され、最後まで家族と一緒に生活することになった。

 合掌。

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