生きがいについて
                                 2003.01.13


高齢社会になるにつれて健康に対する意識や生きがいのある生活に対する関心が高まってきています。これは人生80年時代の到来により、定年退職後の老後生活を余生とは言えないほどの長い期間過ごさねばならなくなってきたからです。この長い老後をいかにして健康で生きがいを持って暮らすかは大きな問題です。

健康はわかりやすいのですが、生きがいとなると、個人個人が持つ意識がさまざまで、その人が生きがいと感じることが出来れば他の人がとよやかく言うものではありません。そうなると、どんなものを生きがいとすれば良いのかと悩むことになります。

城山三郎の「毎日が日曜日」にそのヒントとなる言葉がありますので、それを引用します。参考にしてみてください。

主人公の友人である笹上が、片足を失って入院中の主人公の息子の話し相手となったり手伝いをすることが面倒なこと、嫌なこととは感じず、人の役に立っているという気持ちで嬉々としていた。しかし退院する日が近づくにつれてその楽しみがなくなってしまうと、気が重くなっている時の気持ちである。
『定年直後、笹上は、無為にして怠惰な生活をよしとしていた。ただ気ままに、長生きだけを心がけよう、と思った。だが、いまとなってわかるのは、「無為にして怠惰」が、「気ままにして長生き」と直結してはいないらしい、ということである。  (略)  「気ままで長生き」するためには、少しばかり内容があり、働きがいのある生活が必要のようであった。何かひとつ、軽く支えになるものがあり、また、軽くたよりにされるらものがあっていい。日程表の先の先まですべて空白というのでなく、適当にたのしい日程ができていて、しかも空白が多い、という感じがいい。』

皆さんは、どう考えますか。

いきいき長生き人生トップページへ戻る